(2010/12/06参詣)
JR鎌倉駅から徒歩20分、鶴岡八幡宮からは徒歩10分で到着します。
参道入り口です。
鳥居をくぐり、参道を進みます。
階段を登り神門をくぐると、拝殿が見えてきます。
社殿全景です。左側の本殿は、江戸時代の寛永元年(1624)に鶴岡八幡宮の若宮本殿を移築したもので、
建物自体は鎌倉時代の正和5年(1316)に再建されたものであることから、国の重要文化財に指定されています。
御祭神は、菅原道真公(すがわらみちざねこう)です。
(2010/12/06参詣)
JR鎌倉駅から徒歩20分、鶴岡八幡宮からは徒歩10分で到着します。
参道入り口です。
鳥居をくぐり、参道を進みます。
階段を登り神門をくぐると、拝殿が見えてきます。
社殿全景です。左側の本殿は、江戸時代の寛永元年(1624)に鶴岡八幡宮の若宮本殿を移築したもので、
建物自体は鎌倉時代の正和5年(1316)に再建されたものであることから、国の重要文化財に指定されています。
御祭神は、菅原道真公(すがわらみちざねこう)です。
(2010/12/06参詣)
相模国一の宮です。
JR鎌倉駅から徒歩10分で到着します。
一ノ鳥居です。鎌倉駅から若宮大路を神社とは反対の海のほうへ10分ほど歩くとあります。
江戸時代の寛文8年(1668)に、徳川4代将軍家綱により寄進されたもので、国の重要文化財に指定されています。
二ノ鳥居です。一ノ鳥居から歩いて10分ほど、鎌倉駅からは3分ほどです。
二ノ鳥居から三ノ鳥居までの参道は、「段葛(だんかずら)」と呼ばれ車道より一段高くなっています。
三ノ鳥居です。二ノ鳥居からは歩いて7分ほどです。
境内はかなり広いです。
参道を進んでいくと舞殿があります。下拝殿とも呼ばれています。
舞殿を過ぎると大石段があり、その上に本宮があります。
現在の本宮は文政11年(1828)に、徳川11代将軍家斉によって再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
御祭神は、応神天皇(おうじんてんのう)・比売神(ひめがみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)の三柱です。
(2010/12/06参詣)
JR鎌倉駅から徒歩15分で到着します。
入口に「元鶴岡八幡宮」と書かれた石の標柱が立っており、路地を進んでいくと左手に鳥居が見えてきます。
鳥居を2つくぐると小さな社殿があります。
平安時代の康平6年(1063)に源頼義が「前九年の役」で奥州を平定した帰り、ご守護を祈って出陣した石清水八幡宮の御分霊をこの地にお祀りしたのだそうです。
その後、頼義の子孫である源頼朝が治承4年(1180)に鎌倉入りした際に、現在の鶴岡八幡宮の地にお遷ししたということで、そのためこちらは「元八幡」とも呼ばれています。
御祭神は、鶴岡八幡宮と同じく、応神天皇(おうじんてんのう)・比売神(ひめがみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)の三柱です。
(2010/12/06参詣)
京急電鉄久里浜線京急久里浜駅から京浜急行バス湘南山手行に乗り、「安房口神社」で下車するとすぐです。
京急久里浜駅からのバスは、写真の右端にある案内板の先に停車します。
階段を登ると一の鳥居があります。
鳥居をくぐり、参道を登っていきます。
参道を登っていくと、二の鳥居があり、奥に三の鳥居が見えてきます。
三の鳥居です。
こちらの神社は社殿がなく、御神体には大きな自然石が鎮座しています。
御神体の霊石は、その昔、安房国洲崎明神に竜宮から献上された大きな石が二つ置かれていて、ある時、その一つが安房大神太玉命の御霊代として東国鎮護のためにこの場所に飛んできたといわれています。
直径40mほどの穴が安房の方角を向いているので、古来安房口明神と尊称されてきたそうです。
2009年8月に訪れた、洲崎神社(すのさきじんじゃ)の御神石の由緒に書かれている「阿吽の石(あうんのいし)」の両方を見ることができました。
御祭神は、天太玉命(あめのふとたまのみこと)です。
ちなみに洲崎神社の御祭神、天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)は天太玉命の妃神です。
(2010/11/19参詣)
知知夫国(ちちぶのくに)一の宮です。
秩父鉄道秩父駅から徒歩5分、西武鉄道秩父線西武秩父駅からは徒歩10分で到着します。
南門にある一の鳥居です。
鳥居をくぐると神門があります。
神門から中へ進んでいくと、拝殿です。
現在の社殿は、天正20年(1592)に徳川家康が寄進されたもので、権現造りとなっています。
横から見た拝殿と本殿です。
御祭神は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)・知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)の四柱です。
崇神天皇の御代に、知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるそうです。
天之御中主神は、鎌倉時代に合祀されていた妙見菩薩が明治時代の神仏分離により名を改められたものということです。
秩父宮雍仁親王は昭和天皇の弟宮で、昭和28年(1953)に合祀されました。
知々夫国は大化の改新以降に无邪志国(むさしのくに)と統合され、武蔵国となったそうです。
(2010/08/22参詣)
JR下野宮駅から徒歩3分で到着します。
入口の鳥居です。
随神門です。
拝殿です。
御祭神は、面足尊(オモダルノミコト)、惶根尊(カシコネノミコト)、級長津彦命(シナツヒコノミコト)の三柱です。
面足尊と惶根尊は、日本書紀の神世七代(かみのよななよ)の6代目に現れる神様で、その次に現れるのが、伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)と伊弉冉尊 (いざなみのみこと)です。
級長津彦命は、伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に生まれた御子神です。
馬場都都古和氣神社・八槻都都古別神社とともに「近津三所明神」と称し、当社は「近津下ノ宮」と呼ばれていました。
これとは別に、近津神社自体も八溝川沿いに三ヶ所(上野宮・町付・下野宮=当社)あって、「近津三所(三社)大明神」と呼ばれることもあったようです。
(2010/06/02参詣)
JR大宮駅から国際興業バスに乗り、「中山神社」で下車、徒歩2分で到着します。
バス通りである第二産業道路が参道を横切っているので、神社とは反対の方向に参道入口の鳥居があります。
参道を進んでいくと、境内入口の鳥居があります。
鳥居をくぐると、正面に拝殿が見えてきます。背後に本殿があり、さらにその奥に桃山時代に造られた旧本殿が保存されています。
御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)です。
かつては簸王子社(ひおうじしゃ)と呼ばれ、須佐之男命(すさのおのみこと)を祀る男体社(氷川神社)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を祀る女体社(氷川女體神社)の三社を一体として、「氷川神社」とみなされていたそうです。
(2010/06/02参詣)
武蔵国一の宮です。
2008年11月以来2度目の参詣です。
今回は、JRさいたま新都心駅で降りて、旧中山道を5分ほど歩いた参道入口から行ってみました。
入口の一の鳥居です。ここから境内入口まで2キロメートルの道のりです。
1.5キロメートル進むと二の鳥居があります。
さらに500メートル進むと三の鳥居があります。
神池にかかる神橋を渡ると、大きな楼門が見えてきます。
楼門をくぐると、舞殿があり、その先に拝殿、本殿があります。
拝殿です。背後にある本殿は外からは見えにくくなっています。
御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)の三柱です。
こちらの地域は武蔵国が統合される以前の、旧无邪志(むざし)国の領域にあたるようです。
(2010/06/02参詣)
武蔵国一の宮です。
JR東浦和駅から国際興業バスに乗り、「朝日坂上」で下車、徒歩4分で到着します。
見沼代用水にかかる橋を渡り、階段を登ります。
鳥居をくぐり、参道を進みます。
拝殿です。
背後から見た本殿です。社殿は権現造りになっています。寛文7年(1667)に徳川4代将軍家綱により再建されたものだそうです。
御祭神は、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を主祭神に、大己貴命(おおなむちのみこと)と三穂津姫命(みほつひめのみこと)を配祀しています。
古くは、須佐之男命(すさのおのみこと)を祀る男体社(氷川神社)、大己貴命を祀る簸王子社(中山神社)、当社の三社を一体としてみなされていたようです。
三穂津姫命は大己貴命の妃神です。
(2010/03/21参詣)
武蔵国一の宮です。
京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩8分で到着します。
入口の鳥居です。
鳥居をくぐり、随神門を通って参道を進みます。
拝殿です。目の覚めるような鮮やかな朱塗りが施されています。
拝殿背後にある本殿です。神主さんが常駐していない神社なのですが、境内はきれいに整備されています。
御祭神は、天下春命(あめのしたはるのみこと)です。
天下春命は、知知夫(ちちぶ)国造の祖神である八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)の御子神で、この地を開拓された神様としてお祀りされているようです。
武蔵国は、大化の改新以降に知知夫・无邪志(むざし)・胸刺(むざし)の3国が統合されてできたそうで、こちらは旧胸刺国の領域にあたるということです。