神社・寺・城

2010年8月11日

石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)

Filed under: 一の宮 — タグ: — ynkgw @ 19:00

(2010/08/08参詣)

陸奥国一の宮です。

JR磐城石川駅から徒歩10分で到着します。

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参道入口です。神社は通称「八幡山」の山頂にあり、約300メートルの道のりだそうです。

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山道を登っていきます。

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かつて鳥居だと考えられていたという石門を通り過ぎます。

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最後の階段を登ります。

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拝殿です。

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本殿は、大屋根に覆われて保護されていました。

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最初の参道入口から、今出川にかかる神前橋を渡った先には、「御仮屋」と呼ばれる遥拝所がありました。

御祭神は、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を主祭神に、、大国主命(おおくにぬしのみこと)と誉田別命(ほんだわけのみこと)の二柱が配祀されています。

八幡山は、山中や参道両側に磐境(いわさか)や磐座(いわくら)が多数点在しており、古代から祭祀の場とされていたようです。

http://www13.plala.or.jp/seihuukan/

2010年8月10日

馬場都都古和氣神社(ばばつつこわけじんじゃ)

Filed under: 一の宮 — タグ: — ynkgw @ 21:35

(2010/08/08参詣)

陸奥国一の宮です。

JR磐城棚倉駅から徒歩12分で到着します。

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参道入口の鳥居です。神社の境内のほうが駅から近いところにあるので、ここまで来ると多少遠回りになります。

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境内入口です。石段の途中に鳥居があります。

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石段を登ると随神門があり、さらに参道がつづきます。

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拝殿の前にも鳥居があります。

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拝殿です。左側には神楽殿が連なっています。

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本殿です。

御祭神は、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を主祭神に、日本武尊(やまとたけるのみこと)が配祀されています。

日本武尊が東征を行う際に、建鉾山(別名:都々古山)に鉾を建て、奥州の地主神である味耜高彦根命をお祀りしたのが創祀だといわれています。

その後、大同2年(807)に坂上田村麻呂が東征の際、現在の棚倉城址に奉遷、社殿を造営し、日本武尊を併せ祀りました。

さらに、寛永元年(1624)に棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため、現在地に神社を遷座しました。

また、八槻都都古別神社・近津神社とともに「近津三所明神」と称し、当社は「近津上ノ宮」と呼ばれていました。

2010年8月9日

八槻都都古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)

Filed under: 一の宮 — タグ: — ynkgw @ 17:06

(2010/08/08参詣)

陸奥国一の宮です。

JR近津駅から徒歩10分で到着します。

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入口の鳥居です。

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鳥居をくぐると随神門があり、さらに中へ進むと拝殿があります。

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拝殿の背後にある本殿です。

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社殿全景です。

御祭神は、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を主祭神に、日本武尊(やまとたけるのみこと)が配祀されています。

日本武尊が八溝山に住む東夷の大将を討った際、守護として現れた神が建鉾山より箭(や)を放ち、その着いた場所を箭津幾(やつき)とし、神社を創建したのが始まりといわれています。

味耜高彦根命は、大己貴命(おおなむちのみこと)の御子神で、古くから農耕神としてあがめられていました。

源義家が奥州征伐でこの地を訪れたときに、日本武尊が東征の際千度戦って千度勝った御神徳を称え、「千勝大明神(ちかつだいみょうじん)」と改称します。

その後、馬場都都古和氣神社・近津神社とともに「近津三所明神」と称し、当社は「近津中ノ宮」と呼ばれていました。

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