(2014/09/13参詣)
御祭神:大倉主命(おおくらぬしのみこと)・菟夫羅媛命(つぶらひめのみこと)
御由緒は岡湊神社と同じですが、神功皇后が三韓征伐された際にも神助があり、帰国されてからこの地にお祀りしたということで、こちらが本宮だそうです。
(2014/09/13参詣)
御祭神:大倉主命(おおくらぬしのみこと)・菟夫羅媛命(つぶらひめのみこと)
御由緒は岡湊神社と同じですが、神功皇后が三韓征伐された際にも神助があり、帰国されてからこの地にお祀りしたということで、こちらが本宮だそうです。
(2014/09/13参詣)
御祭神:大倉主命(おおくらぬしのみこと)・菟夫羅媛命(つぶらひめのみこと)
仲哀天皇の熊襲征伐の際この地で船が進まなくなったため、大倉主命・菟夫羅媛命をお祀りしたところ再び進み始めたと伝えられています。
(2014/09/13参詣)
御祭神:神日本磐余彦天皇(神武天皇)
神武東征の際に1年間滞在された「岡田宮」の跡とされています。
「御神殿の材料は伊勢神宮よりの撤下材を拝受使用」され、平成12年(2000)12月8日に遷座祭が行われたようです。
(2013/05/05参詣)
「壱岐国大七社」の一社です。
入口の鳥居です。
参道の突き当り右手に西門(正門)があります。天正20年(1592)の朝鮮出兵の際に、加藤清正により寄進されたものだということです。
西門をくぐると拝殿があります。
社殿全景と本殿です。
拝殿の向かって右手には、南門(脇門)があります。こちらも天正20年(1592)の朝鮮出兵の際に、鍋島直茂により寄進されたものだということです。
御祭神は、息長足姫尊(神功皇后)・足仲彦尊(仲哀天皇)・誉田別尊(応神天皇)・住吉大神(住吉三神)の四柱で、天照大神が配祀されています。
三韓征伐の際、神功皇后がこの地に行宮を建てられたが、その後放置されていたそうです。
しかし、毎夜海中から光る物が来るという出来事が続いたため、鏡を納めて神功皇后をお祀りしたのが当社の創祀だということです。
(2013/05/05参詣)
「壱岐国大七社」の一社です。
他の八幡神社との区別のため「本宮八幡神社」と呼ばれているようです。
入口の鳥居から上り坂の参道が延びています。
最後の石段を上りきると拝殿があります。
本殿は覆壁で保護されています。
御祭神は、聖母大神(神功皇后)・住吉大神(住吉三神)・八幡大神(応神天皇)の三柱です。
元々は住吉三神をお祀りしていたが、後に八幡神を勧請し八幡宮になったということです。
(2013/05/05参詣)
「壱岐国大七社」の一社です。
国道382号線沿いにある一の鳥居です。
石段と坂道を下りていくと二の鳥居があります。
参道を進むと拝殿があります。
拝殿の背後は石垣になっており、その上に中門と本殿が建てられています。
御祭神は、底筒男神・中筒男神・表筒男神の住吉三神で、相殿に八千戈神(大國主命)をお祀りしています。
神功皇后が三韓征伐から凱旋された際、三韓鎮護のために住吉三神をお祀りされたのが当社の創祀で、「日本最初の住吉神社」だということです。
(2013/05/05参詣)
壱岐国一の宮です。
こちらも「壱岐国大七社」ではありませんが、「国主直参社」九社の内の一社です。
一の鳥居です。
石段の途中に二の鳥居があります。
石段を上りきると三の鳥居があります。
拝殿と社殿全景です。本殿は覆屋で保護されており、外からは見えません。
御祭神は、天忍穂耳尊・天手力男命・天鈿女命の三柱です。
江戸時代に壱岐国一の宮・天手長男神社として比定され、代々藩主の崇敬も厚かった当社ですが、近年の研究では興神社こそが本来の天手長男神社だとする説が有力なようです。
昭和40年(1965)に当社に合祀された「天手長比売神社(あまのたながひめじんじゃ)」の跡地が、300メートルほど離れたところにあります。
御祭神は、栲幡千々姫命・稚日女命・木花開耶姫命・豊玉姫命・玉依姫命の五柱です。
こちらも江戸時代に比定されたものなので、現・天手長男神社の根拠が揺らいでしまうと、本来の所在地は不明となってしまいます。
(2013/05/05参詣)
「壱岐国大七社」ではありませんが、「国主直参社」九社の内の一社です。
境内入口の様子です。石段の途中に鳥居があります。
石段を上ると拝殿があります。
社殿全景と本殿です。
御祭神は、素盞嗚尊で、大己貴命・奇稲田姫命・闇袁加美神の三柱が配祀されています。
神代の時代に、素盞嗚尊が韓国を巡られてそのお帰りの際に壱岐国郷ノ浦江上に着岸され、この地に宮殿を建てられたそうです。
(2013/05/04参詣)
「壱岐国大七社」の一社です。
他の八幡神社との区別のため「箱崎八幡神社」と呼ばれているようです。
県道23号線沿いにある一の鳥居です。
石段を上ると二の鳥居があります。
さらに石段を上ると三の鳥居があり、拝殿が見えてきます。
本殿と社殿全景です。本殿は覆壁で保護されています。
御祭神は、豊玉毘古命・玉依毘売命・品陀和気命(応神天皇)・仲日賣命・息長帯日賣命(神功皇后)・帯仲日子命(仲哀天皇)・天月神命・天比登都柱命・高皇産霊神の九柱です。
最初は月読神社として創立され、次いで海神の配祀や龍神の合祀により海裏宮となり、さらに八幡神の配祀があって八幡宮になったということです。
このことから本来の月読神社は、こちらではなかったかとの説があるようです。
(2013/05/04参詣)
県道172号線から見える鳥居です。
鳥居をくぐり石段を上ると社殿があります。
御祭神は、月夜見尊・月弓尊・月読尊の三柱ですが、同神だということです。
創祀の年代は不明ですが、顕宗天皇3年(487)に壱岐県主の先祖・押見宿彌が月讀神社から分霊して京都にお祀りされたそうです。
押見宿彌によって神道が中央に根付くことになったことから、神道発祥の地といわれており、全国の月読社の「元宮」とされています。
ただし、こちらも江戸時代に比定されたものなので、本来の月讀神社は別の場所にあったという説もあるようです。