(2012/04/26参詣)
西本宮から岩戸川を渡って徒歩5分で到着します。
入口の鳥居です。
参道の階段を上ります。
階段を上りきると鳥居があります。
拝殿と背後にある本殿です。
御祭神は西本宮と同じく、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)です。
御祭神・天照皇大神が天岩戸から出てこられた際に、思兼神(おもいかねのかみ)の案内で、この地に造営された社殿にお鎮まり願ったのが当社の創祀と伝えられています。
(2012/04/26参詣)
西本宮から岩戸川を渡って徒歩5分で到着します。
入口の鳥居です。
参道の階段を上ります。
階段を上りきると鳥居があります。
拝殿と背後にある本殿です。
御祭神は西本宮と同じく、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)です。
御祭神・天照皇大神が天岩戸から出てこられた際に、思兼神(おもいかねのかみ)の案内で、この地に造営された社殿にお鎮まり願ったのが当社の創祀と伝えられています。
(2012/04/26参詣)
入口の鳥居です。
参道途中にある鳥居です。
参道を進むと右手に神門があります。
神門をくぐると拝殿があります。拝殿の背後に本殿はなく、御神体である「天岩戸」を遥拝するかたちとなっています。
社殿全景です。
御祭神は、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)です。
当社は、天孫・瓊々杵尊が、御祭神・天照皇大神のお籠りになった聖蹟・天岩戸を鎮祭されたのが創祀だと伝えられています。
当社から岩戸川の川沿いを10分ほど歩いていくと、天安河原(あまのやすかわら)に到着します。天照皇大神の天岩戸隠れの際に、八百万の神々が集まって相談した場所と伝えられています。
仰慕窟(ぎょうぼがいわや)と呼ばれる洞窟の奥に天安河原宮があります。
御祭神は、思兼神(おもいかねのかみ)を主祭神に八百萬神(やおよろずのかみ)が祀られています。
仰慕窟から岩戸川の方を見たところです。
(2012/04/26参詣)
入口の鳥居です。
参道の階段を上ります。
階段を上りきると目の前に拝殿があります。
社殿全景です。
御祭神は、天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこほににぎのみこと)を主祭神としてお祀りしています。
当社の鎮座するくしふるの峰は、御祭神・瓊々杵尊が降臨された聖地として伝えられています。
もともと社殿はなく山そのものを神と崇めていましたが、元禄7年(1694)に社殿が建立されたそうです。
(2012/04/26参詣)
入口の鳥居です。
拝殿です。背後に本殿があります。
御祭神は、猿田彦命(さるたひこのみこと)と天鈿女命(あめのうずめのみこと)の二柱を主祭神としてお祀りしています。
当社は、天孫降臨の道案内をつとめた猿田彦命と天鈿女命の結婚が急だったため、切り出したばかりの荒木で宮居を建てたことから、「荒建(立)」という名前になったのだそうです。
(2012/04/26参詣)
入口の鳥居です。
参道の階段を上ると拝殿が見えてきます。
社殿全景と本殿です。本殿は安永7年(1778)に延岡藩主内藤政脩により造替されたもので、国の重要文化財に指定されています。
社殿右手に「鎮石(しずめいし)」があります。垂仁天皇の勅命により我が国で初めて伊勢神宮と当社が創建された際に用いられたものだそうです。
また鹿島神宮造営の際にも当社より鎮石が贈られ、要石として現存しています。
御祭神は、高千穂皇神(たかちほのすめがみ)と十社大明神(じっしゃだいみょうじん)です。
高千穂皇神は、日向三代の皇祖神とその配偶神の六柱の総称で、十社大明神は、神武天皇の皇兄、三毛入野命(みけぬのみこと)とその妻子神の十柱の総称だということです。
三毛入野命が神武東征の途中高千穂に帰られて、日向三代の皇祖神をお祀りされたのが当社の創祀なのだそうです。
(2012/04/26参詣)
入口の鳥居です。国道218号線から山道へ入り、車で15分ほど行ったところにあります。
鳥居をくぐり参道を進むと、長い階段があります。
階段を上ると拝殿があります。
社殿全景です。
御祭神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱です。
天孫瓊瓊杵尊が降臨されたと伝えられる二上山は、古くから山そのものを御神体として崇められ、二上神社も山頂近くにあったそうです。
平安時代に山の東側と西側に里宮が建てられることになり、昌泰元年(898)に現在の地に社殿が建立されたということです。
当社は東宮にあたり、西宮は五ヶ瀬町にある三ヶ所神社です。山頂近くにあった奥宮も昭和62年(1987)に再建され、三ヶ所神社側からの登山道が整備されているようです。
(2012/04/25参詣)
入口の鳥居です。
鳥居をくぐると右手に玉垣を巡らせた一角があります。中には「神武天皇御腰掛の岩」が御神体として祀られています。
もうひとつの鳥居をくぐると拝殿があります。
御祭神は、住吉大神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)です。
当社は、神武天皇が東征の船出をする際に、航海の安全を祈念して住吉大神をこの地に奉斎されたとして、景行天皇の御代に創祀されたということです。
(2012/04/25参詣)
日向国一の宮です。
都農川沿いにある入口の鳥居です。
参道の途中に太鼓橋があります。
太鼓橋を渡ると神門があります。
神門をくぐると拝殿が見えてきます。拝殿背後に幣殿・本殿が連なります。
御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)です。
神武天皇が東征の折、この地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し、御祭神を鎮祭されたのが当社の創建だということです。
(2012/04/25参詣)
県道11号線沿いにある入口の鳥居です。
参道の途中にある鳥居です。
参道を進むと拝殿が見えてきます。
拝殿と背後にある本殿です。
こちらの鳥居を出て、市民の森の中を北東へ300メートルほど行くと御池(みそぎが池)があります。
御池(みそぎが池)です。御祭神・伊邪那岐尊が黄泉の国から帰ってきて「禊祓(みそぎはらい)」をされた場所と伝えられています。
御祭神は、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)と伊邪那美尊(いざなみのみこと)の二柱です。
この地一帯は、古来「日向ノ橘ノ小戸阿波岐原」として伊邪那岐尊が禊祓をされた霊跡と伝承されており、御池はかつて「中ツ瀬」と呼ばれていました。
後に入江が開墾されて、この地は「江田」と呼ばれるようになったそうです。
(2012/04/25参詣)
境内入口にある社号標です。
二の鳥居です。一の鳥居は南へ800メートルほど行った国道10号線の近くにあるようです。
参道を進むと三の鳥居があります。
さらに進むと神門があります。
神門をくぐると拝所があります。一般の参拝はここで行います。
拝所の先には幣殿があります。
御祭神は、神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと=神武天皇)を主祭神とし、相殿には鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)の二柱がお祀りされています。
当社は神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)が筑紫の鎮守となられた際に、祖父のご遺徳たたえるために鎮祭したのが始まりと伝えられています。