神社・寺・城

2009年11月24日

宇佐神宮(うさじんぐう)

Filed under: 一の宮 — タグ: — ynkgw @ 14:49

(2009/11/06参詣)

豊前国一の宮です。

JR宇佐駅から大分交通バスに乗り、「宇佐八幡」で下車するとすぐです。

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入口のイチイガシ並木です。左側が駐車場、右側が商店街になっています。

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並木道を進むと、入口の鳥居が見えてきます。宇佐神宮の鳥居はすべて「宇佐鳥居」という独特の形式になっています。

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入口の鳥居をくぐり、しばらく行くと、右手に神橋があります。神橋を渡り、さらに進むと大鳥居が見えてきます。こちらはかつて大馬場と呼ばれていた表参道になります。

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宇佐神宮の西側に、表参道とは別の西参道があります。昭和初期まではこちらが表参道だったそうです。

入口の鳥居をくぐると、「呉橋(くれはし)」があります。昔、呉の国の人が掛けたといわれているため、この名があるそうです。

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現在の橋は、江戸時代の元和8年(1622)に細川忠利によって修築されたもので、渡ることはできなくなっています。

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呉橋の左手にある神橋を渡り、西参道を進んでいくと、表参道との合流地点に手水舎があります。

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手水舎を過ぎて「皇族下乗」の石段をあがり、突き当りを左に曲がると、道が二手に分かれています。

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左手が上宮、右手が下宮への参道になっています。昔から「下宮参らにゃ片参り」といわれているそうなので、下宮へ進みます。

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石段をあがり鳥居をくぐると神門があり、中へ入ると右手に下宮の社殿が見えてきます。

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引き返して上宮への参道をしばらく進んでいくと、入口の鳥居が見えてきます。

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鳥居をくぐると、西大門(さいだいもん)があります。中へ入ると上宮の社殿の側面が見えます。八幡造りの本殿の屋根の先端がふたつ、少しだけ見えています。

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正面のほうへまわってみます。左の一之御殿、中央の二之御殿、右の三之御殿の前にそれぞれ拝所が設けられています。

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中央の南中楼門(なんちゅうろうもん)です。高良大明神(たからだいみょうじん)、阿蘇大明神(あそだいみょうじん)の二神が御門の神としてお祀りされています。

御祭神は、上宮・下宮とも同じで、

一之御殿 八幡大神(はちまんおおかみ)

二之御殿 比売大神(ひめおおかみ)

三之御殿 神功皇后(じんぐうこうごう)

です。

八幡大神は応神天皇のご神霊で、欽明天皇32年(571)に初めて宇佐の地にご示顕になったそうです。

神亀2年(725)に聖武天皇の勅願により現在の地に御殿を造立し、八幡神をお祀りしたのが創祀だということです。

比売大神は八幡神が現われる以前の古い神、地主神としてこの地で崇敬されていたそうです。

天平3年(731)に神託により二之御殿が造立され、比売大神がお祀りされました。

その後、弘仁14年(823)には神託により三之御殿が造立され、応神天皇の御母、神功皇后がお祀りされました。

http://www.usajinguu.com/

2009年11月23日

西寒多神社(ささむたじんじゃ)

Filed under: 一の宮 — タグ: — ynkgw @ 13:37

(2009/11/06参詣)

豊後国一の宮です。

JR大分駅から大分バスに乗り、「ふじが丘南」で下車、住宅街の中を8分ほど歩くと到着します。

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神社前を流れる寒田川にかかる「萬年橋」です。江戸時代の文久2年(1862)に造られた石造太鼓橋だそうです。

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萬年橋をわたり、参道を進みます。

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鳥居をくぐり、階段を登ると、拝殿があります。

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拝殿の背後に本殿があります。

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本殿です。

御祭神は、西寒多大神(ささむたのおおかみ)ほか十五柱の神様です。

西寒多大神は天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)のこととされています。

応神天皇の勅命を受けた武内宿禰が、西寒多山上(現・本宮山)に宮殿を建立したのが創祀だそうです。

室町時代の応永15年(1408)に大友親世が社殿を現在地に遷し、今日に至るということです。

旧社地は本宮山奥宮となっており、6キロメートルの道のりだそうです。

2009年11月22日

柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)

Filed under: 一の宮 — タグ: — ynkgw @ 17:55

(2009/11/06参詣)

豊後国一の宮です。

JR大分駅から大分交通バスに乗り、「柞原」で下車するとすぐです。

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バス停を降りると、目の前に入口があります。

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参道を進んでいくと、階段の途中に鳥居があります。

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階段を登りきると、南大門が見えてきます。「日暮し門」とも呼ばれており、随所に彫刻が施されています。

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南大門をくぐると、参道が二手に分かれています。右手は本殿正面の楼門に通じており、左手は西門に通じています。

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右手の参道を進んでいくと、階段の上に楼門が見えてきます。

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こちらの楼門は3月15日の例大祭の時にしか開かないそうです。

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先ほどの左手の参道を進んでいくと、右側に西門が見えてきます。

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西門をくぐると、二棟が連結された「八幡造り」の本殿と申殿(もうしでん)、拝殿と左右廻廊付きの楼門が一直線に並んでいます。

参拝者は廻廊から靴を脱いで上がり、拝殿からお参りします。

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楼門を通り過ぎて、振り返ったところです。

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廻廊を降りて先ほどの反対側から見た楼門です。

御祭神は、

東御前:仲哀天皇/帯中日子命(ちゅうあいてんのう/たらしなかつひこのみこと)

仲御前:応神天皇/誉田別命(おうじんてんのう/ほんだわけのみこと)

西御前:神功皇后/息長帯比女命(じんぐうこうごう/おきながたらしひめのみこと)

の三柱です。

平安時代の天長4年(827)に延暦寺の僧・金亀和尚(こんきおしょう)が、宇佐神宮の一千日の参篭にて神告を受け、柞原山に勧請したのが起源だということです。

http://www.oita-yusuhara.com/

2009年11月21日

府内城(ふないじょう)

Filed under: — タグ: — ynkgw @ 17:29

(2009/11/05登城)

JR大分駅から徒歩15分で到着します。

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西丸・南西隅櫓(左手前)と東丸・着到櫓(右手奥)です。昭和40年(1965)に復元されたものです。

中央右よりに見える平櫓は、宗門櫓といって築城当時のものが現存しています。

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西丸・南西隅櫓(左)と東丸・着到櫓(右)です。

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東丸・北東隅櫓です。こちらも昭和40年(1965)に復元されたものです。

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本丸・人質櫓です。こちらは築城当時のものが現存しています。

今回は時間の都合で夜しか訪れることができませんでした。

2009年11月20日

阿蘇神社(あそじんじゃ)

Filed under: 一の宮 — タグ: — ynkgw @ 16:16

(2009/11/05参詣)

肥後国一の宮です。

JR宮地駅から徒歩15分で到着します。

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入口の鳥居です。

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参道を進むと左手に楼門が見えてきます。江戸時代の嘉永2年(1849)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されています。

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楼門をくぐると正面に拝殿があります。

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拝殿向かって左手にある一の神殿です。江戸時代の天保11年(1840)建立で、国の重要文化財に指定されています。

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拝殿向かって右手にある二の神殿です。江戸時代の天保13年(1842)建立で、国の重要文化財に指定されています。

一の神殿と二の神殿の間に三の神殿があります。こちらも天保14年(1843)建立で、国の重要文化財に指定されています。

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広々とした境内の様子です。

御祭神は、

一の神殿:健磐龍命(たけいわたつのみこと)のほか四柱

二の神殿:阿蘇都比咩命(あそちひめのみこと)のほか四柱

三の神殿:国造速瓶玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)のほか一柱

の十二柱と全国3132柱の諸神がお祀りされています。

神武天皇の孫神である健磐龍命は、勅命によりこの地に派遣され、阿蘇都比咩命と結婚して、湖だった火口湖の水を流し出し、美田を開拓して農耕の道を開かれたそうです。

御子神である初代阿蘇国造・速瓶玉命が、両親をお祀りしたのが創祀だということです。

2009年11月19日

熊本城(くまもとじょう)

Filed under: — タグ: — ynkgw @ 18:29

(2009/11/05登城)

JR熊本駅から市電に乗り、熊本城前電停下車徒歩5分で到着します。

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竹の丸から見た天守閣です。

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二様の石垣です。築造年代により石垣の傾斜が異なっています。傾斜が緩やかなほう(手前)が年代が古いです。

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宇土櫓です。江戸時代の慶長12年(1607)熊本城の創建当時から残る唯一の多層櫓で、国の重要文化財に指定されています。

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宇土櫓から見た天守閣です。

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本丸から見た天守閣です。現在の天守閣は昭和35年(1960)に鉄筋コンクリート造で外観復元されたものです。

http://www.manyou-kumamoto.jp/castle/

2009年11月18日

千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)

Filed under: 一の宮 — タグ: — ynkgw @ 16:14

(2009/10/30参詣)

肥前国一の宮です。

JR久留米駅から西鉄バスに乗り、「千栗八幡宮前」で下車するとすぐです。

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バス停を降りると、鳥居が見えています。

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佐賀藩祖鍋島直茂が寄進したとされる石造の肥前鳥居です。鳥居の先は急な石段になっています。

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石段を登ると、正面に拝殿があります。

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拝殿の背後に本殿があります。

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背後から見た本殿です。

御祭神は、応神天皇(おうじんてんのう)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)の三柱のほか、四柱の神様がお祀りされています。

聖武天皇神亀元年(724)、養父郡司であった壬生春成が夢に神託を受け、千根の栗の木が生えている地に社殿を建てたのが創祀だということです。

2009年11月17日

高良大社(こうらたいしゃ)

Filed under: 一の宮 — タグ: — ynkgw @ 01:24

(2009/10/30参詣)

筑後国一の宮です。

西日本鉄道天神大牟田線西鉄久留米駅から西鉄バスに乗り、「御井町」で下車、徒歩30分で到着します。

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バス停を降りてすぐのところに、石造大鳥居があります。江戸時代の明暦元年(1655)久留米藩2代藩主有馬忠頼により寄進されたもので、国の重要文化財に指定されています。

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石造大鳥居をくぐり10分ほど歩いていくと、二の鳥居があります。ここから車道とわかれて石段を登っていきます。

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参道を20分ほど登っていくと、下向坂石段の前に鳥居があります。古くはこちらが本参道だったそうです。

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下向坂石段は登らずに再び合流した車道を左手に進むと、本坂の前に三の鳥居があります。現在はこちらが正面になっています。

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本坂の石段を登っていくと、中門(ちゅうもん)と透塀(すきべい)に囲まれた社殿が見えてきます。

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こちらの社殿は、久留米藩3代藩主有馬頼利の寄進により造営されたもので、国の重要文化財に指定されています。

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江戸時代の万治3年(1660)に本殿が、寛文元年(1661)に幣殿・拝殿が完成しました。

御祭神は、高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)、八幡大神(はちまんおおかみ)、住吉大神(すみよしおおかみ)の三柱です。

高良玉垂命は、古くから筑後の国そのものである「国魂(くにたま)」として、厚く信仰されてきたということです。

http://www.kourataisya.or.jp/

2009年11月16日

小倉城(こくらじょう)

Filed under: — タグ: — ynkgw @ 19:13

(2009/10/28登城)

JR西小倉駅から徒歩10分で到着します。

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本丸から見た天守閣です。

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追手門を出て、北九州市役所側から見た天守閣です。市庁舎の窓が反射して写りこんでいます。

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こちらの天守閣は、昭和34年(1959)に鉄筋コンクリート造で外観復元されたものです。

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リバーウォーク北九州側から見た天守閣です。天守閣の手前は八坂神社の境内になっています。

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夜間はライトアップされていました。

http://www.kid.ne.jp/kokurajou/

2009年11月15日

住吉神社(すみよしじんじゃ)

Filed under: 一の宮 — タグ: — ynkgw @ 01:16

(2009/10/28参詣)

長門国一の宮です。

JR新下関駅から徒歩20分で到着します。

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入口にある大鳥居です。

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大鳥居をくぐり参道を進むと、太鼓橋があります。さらに進むと階段があり、上には楼門があります。楼門をくぐると、目の前に拝殿があります。

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拝殿です。室町時代の天文8年(1539)に毛利元就が寄進したもので、国の重要文化財に指定されています。

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拝殿の背後にある本殿です。本殿は室町時代の応安3年(1370)大内弘世により再建されたもので、国宝に指定されています。

九間社流れ造りといわれる、五つの社殿を四つの相の間で連結した構造になっています。

御祭神は、本殿向かって左から、

第一殿:住吉大神荒魂(すみよしのおおかみあらみたま)

第二殿:応神天皇(おうじんてんのう)

第三殿:武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)

第四殿:神功皇后(じんぐうこうごう)

第五殿:建御名方命(たけみなかたのみこと)

です。

住吉大神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉国から帰って穢を清められた時に出現された神様です。

神功皇后の三韓征伐の際に再び現れて、「吾和魂(にぎみたま)は玉身(みみ)に服いて寿命を守り、荒魂(あらみたま)は先鋒となりて師船(みいくさのふね)を導かん」との御神託があり、その神助により神功皇后は交戦することなく戦勝した。帰途、「吾荒魂は穴門の山田邑に祀れ」との御神託があったので、その神恩に感謝された神功皇后が、この地に住吉大神の荒魂をお祀りされたのが起源だということです。

http://www.tip.ne.jp/sumiyosi/

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