(2009/09/01参詣)
JR日光駅あるいは東武日光線日光駅から、東武バス・世界遺産めぐり循環バスに乗り、「表参道」で降ります。
表参道を進んでいくと、石鳥居が見えてきます。江戸時代の元和4年(1618)造営で、高さ9.2メートル、幅13.2メートルです。国の重要文化財に指定されています。
石鳥居をくぐると左手に五重塔があります。文政元年(1818)に再建されたもので、高さ約36メートルです。国の重要文化財に指定されています。
石鳥居から右手のほうに進むと、御仮殿(おかりでん)があります。本社を修理する際に神霊を一時的に移しておく建物です。
寛永16年(1639)造営で、本社と同様に本殿・相の間・拝殿が連なる「権現造」となっています。国の重要文化財に指定されています。
参道に戻り先に進むと、表門が見えてきます。寛永13年(1636)造営で、国の重要文化財に指定されています。
左右に仁王像が安置されているので仁王門とも呼ばれているそうです。
表門をくぐると右手に下神庫(しもじんこ)、正面に中神庫(なかじんこ)が見えてきます。神庫には春と秋に行われる渡御祭で使用する1200人分の装束や流鏑馬の道具等が収められているそうです。
中神庫の先には上神庫(かみじんこ)があります。これら三神庫は江戸前期(1615-1660)の造営で、国の重要文化財に指定されています。
上神庫には「想像の象」と呼ばれる大きな彫刻がほどこされています。狩野探幽が実物を知らずに想像で下絵を描いたことから、そう呼ばれているそうです。
参道をはさんで三神庫の反対側には、神厩舎(しんきゅうしゃ)があります。寛永13年(1636)造営で、国の重要文化財に指定されています。
昔から猿は馬を守ると伝えられているところから、猿の彫刻が8面あり、中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿(1枚目写真の中央)が有名です。
参道を進むと、御水舎(おみずや)があります。元和4年(1618)造営で、国の重要文化財に指定されています。
かつて参拝者が手と口を清める場所は自然の川や湧き水であったが、境内に独立した建物を構えたのはこの御水舎が最初だということです。
さらに参道を進むと、青銅製の唐銅鳥居(からどうとりい)があります。
鳥居をくぐり石段を登ると、陽明門があります。寛永13年(1636)造営で、国宝に指定されています。
陽明門の裏側です。一日中眺めていても飽きないことから「日暮らしの門」とも呼ばれています。
陽明門の先に唐門があります。こちらも寛永13年(1636)造営で、国宝に指定されています。
平成27年の御祭神400年祭に向けて修理中のため、仮囲いに覆われて外観を見ることはできませんでした。
唐門から右手に進み、東廻廊の奥社参道入口にある、眠り猫の彫刻です。左甚五郎の作と伝えられています。
眠り猫の下をくぐると、坂下門があります。寛永13年(1636)造営で、国の重要文化財に指定されています。
石段をしばらく登ると、青銅製の奥社鳥居が見えてきます。天和3年(1683)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
鳥居をくぐり右手の石段を登ると、奥社拝殿があります。寛永13年(1636)造営で、国の重要文化財に指定されています。
拝殿背後にある鋳抜門(いぬきもん)です。慶安3年(1650)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
鋳抜門の奥にある奥社宝塔です。天和3年(1683)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。
この塔の下に御祭神・徳川家康の遺骸が葬られています。
御祭神は、徳川初代将軍・徳川家康です。
江戸の北の方位に位置し、古くから山岳信仰の霊場として栄えてきた日光に目をつけた徳川家康は、死後この地に祀られることによって、不動の北極星の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたということです。
また、本殿・石の間・拝殿を「工」の字形に配置し一棟を構成する建築様式は、「大明神造」と呼ばれていたらしいのですが、東照宮がこの様式で建てられたので、徳川家康の御神号である東照大権現にちなんで「権現造」と呼ばれるようになったそうです。
http://www.toshogu.jp/